最終更新日:1999年3月23日

 


平成11年3月開催 睦沢町立歴史民俗資料館企画展
       第五回新発見考古資料展資料より抜粋

本資料は睦沢町立歴史民俗資料館の了解のもとで転載しています。
(本当は「第五回」ではなく「第四回」だったようです(^_^;) )


   睦沢町立歴史民俗資料館
   Mutsuzawa Museum of History & Folklore
   〒299-4413 千葉県長生郡睦沢町上之郷1654-1
   TEL 0475-44-0211/FAX 0475-44-0213


(5) 下太田貝塚(茂原市)

 下太田貝塚は二級河川一宮側の支流阿久川の上流域に位置し、東西を丘陵に挟まれた南向きの埋没谷中に立地する。

 今回発表する第1地点は平成9年6月〜平成10年6月にかけて860平方メートルを対象に調査を行った。

 縄文時代中期中葉〜晩期初頭にかけての2m以上の包含層の堆積が認められ、中期後葉から後期初頭にかけては4枚の貝層(6a,6a',6b,9層)を形成するが、何れも混貝土層である。

 確認調査による他地点を含めた層位概念図に各層の土器の出土傾向を示したが、出土料が膨大で水洗未了の為、今後訂正する可能性はお断りしておく。各層位に伴う異系統土器は中期後半に中部・西関東系、後期初頭以降東北南部系が目立つ傾向にある。

 他に縄文時代晩期後葉(千綱式期)の旧川道・後期前葉の土抗や中期末〜後期後葉と思われる柱及び杭を検出しているが、今回の調査成果中最も注目されるのは、中期後葉・後期前葉・後期中葉の三期にわたる墓域を層位的に検出し、埋没谷中に営まれた墓域の時期を追っての変遷が把握できたことであり、各期の墓域から検出した200体以上の人骨である。

 中期後葉期では大小三つの輪が重なり合うように埋葬人骨を検出している。膝を胸元に引きつける屈葬と膝を墓抗側壁にもたれかけさせる屈葬があるが、少年の場合はやや異なる姿勢をとる。乳幼児の埋葬を13例検出したが、埋甕1例・土器破片を被せた2例の他は柱穴上の小穴から検出し、他遺跡の小規模なピットへの注意を喚起する。乳幼児は横に寝かせた姿勢をとらない。他にイノシシ・イヌの幼獣、イノシシ若獣の埋葬例があり注目される。

 後期前葉では、埋甕23基を検出し、その大部分から乳幼児骨を確認したが、少年や大人の埋葬は調査範囲では確認できない。乳幼児と少年以上というように年齢別に墓域を分けた可能性が高い。

 後期中葉は伸展葬が主体で、方形もしくは長方形の区域内に密集して埋葬する。区域中に乳幼児の埋葬は行わない。他に楕円形を呈する土抗中に大量の遺骸を集積した土抗(人骨集積土抗と仮称する)を三基検出した。人骨集積土抗での出土状態は、ミイラ状あるいは半腐れ状態となった遺骸を一時に大量投棄したことを思わせる。この二つの埋葬形態は、相互に関連するかの位置関係を有しており、同時に行われていた可能性が高い。




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